2013年09月28日

「エデンの東」 聖書の新解釈より


先日ご紹介した「霊性の時代の夜明け」さまから、また面白い記事を発見しましたのでご紹介します。
私は以前からカインとアベルの話に不可解なものを感じていましたが、この記事を読んで非常に納得ができ、目からウロコが落ちる思いでした。


霊性の時代の夜明け さまより転載

聖書の新解釈よりエデンの東


さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「私は主によって男子を得た」と言った。彼女はまたその弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。アベルは羊の群れの中から肥えた初子(ういご)を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。

主はカインに言われた。
「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」
カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。
主はカインに言われた。
「お前の弟アベルはどこにいるのか。」
カインは答えた。
「知りません。わたしは弟の番人でしょうか。」
主は言われた。
「何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を、口をあけて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。土を耕しても、土はもはやお前のために作物を産み出すことはない。お前は地上をさまよい、さすらう者となる。」

カインは主に言った。
「私の罪は重すぎて負いきれません。今日、あなたが私をこの土地から追放なさり、わたしが御顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者となってしまえば、私に出会う者はだれであれ、私を殺すでしょう。」
主はカインに言われた。
「いや、それゆえカインを殺すものは、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」
主はカインに出会うものがだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。カインは主の前を去り、エデンの東、ノド(さすらい)の地に住んだ。

日本聖書協会 新共同訳聖書 創世記4章1−16節

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50年程前、『エデンの東』という映画がありました。若くして死んだ青年俳優ジェームス・ディーンの名と共に覚えていらっしゃる年配の方も多いのではないでしょうか。その「エデンの東」という題名は、この聖書の物語から取られています。
 




この「カインとアベルの物語」は、西洋では非常に有名な物語であるにもかかわらず、たいへん理解しがたい物語です。この物語は、人類の最初の兄弟殺しの話とされています。けれども、カインがアベルを殺した原因は、二人が同じように献げ物を持って来たのに対して、神がアベルだけをかえりみ、カインを無視されたからなのです。なぜ、神はこのような「えこひいき」をしたのでしょうか。このことについては、どの注解書をみても、結局「神がなさることは不可解であり、人間はただそれを受け容れるほかはない」という解釈をとっているように見受けられます。
 
けれども私は、「この物語は夢を読み解くように読むべきである」と考えています。
夢を解くといえば、同じ創世記の40章から41章にかけて、有名なヨセフの夢解き物語があります。エジプトの王ファラオが「7本のよく実の入った麦の穂を、後から出てきた7本の痩せた麦の穂が飲み込んでしまう」という不思議な夢を見ます。宮廷には誰もそれを解く者がいなかったのですが、牢獄の囚人であったヨセフがそれを読み解いて7年の飢饉を予測したため、高位の職に取り立てられたという、これも聖書を読む人にはよく知られた物語です。このときヨセフは言います。 「よく実の入った7本の麦の穂は7年の豊作を表します。後から来た7本の痩せた穂は7年の飢饉を示します。」・・・
 
夢は言葉の論理を超越しています。論理的に理解しようとしても理解することはできません。夢はシンボルによって語られる暗号です。シンボルが何を表しているかを知ることが夢を解く鍵です。

カインとアベルの物語を解く鍵となるシンボルは何でしょうか。それは「土」と「羊」です。そして、土は人間の物質性を表し、羊は霊性を表しているのです。
 
創世記の二章に「主なる神は土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」とあります。当時、原子や分子といった言葉はありませんでした。土の塵とは、原子や分子のことを指しているのではないでしょうか。人間の身体は土を構成するのと同じ原子や分子によって作られ、死ねば分解してまた土に戻って行きます。したがって、「土」が人間の物質的側面を表すシンボルとして使われるのは自然なことだと思われます。これに対し、羊は、「神の子羊」「私の羊を飼いなさい」など、つねに神が心にかけるものを表すのに使われます。神が心にかけるものとは、人間の霊的側面のことにほかなりません。
 
カインは土を耕す者でした。彼は、人間が物質世界を耕して文化文明を発達させ、そこからさまざまな成果を獲得する側面を表しています。アベルは羊を飼う者でした。彼は、人間が霊性をはぐくみ育て、霊的に成長して行く側面を表しています。彼らは二人の別々の人間を表すのではなく、すべての人間の二つの側面を表しているのです。
 
この物語の原典はヘブライ語で書かれていますが、手元にある注解書(ATD旧約聖書注解)によれば、アベルというのは「息」あるいは「虚しいもの」を意味するへベルという語を連想させる言葉であると書かれています。これはまさに霊を意味するギリシャ語のプネウマ(風、息、霊)に相当する言葉ではないでしょうか。
 
これに対し、カインというのは「槍」を意味するそうです。私は、これは「男性」を表すシンボルだと思います。槍や棒のようなものが多くの文化の中で男性のシンボルとなっているのは周知の事実です。

また聖書は、カインが生まれたとき、エバが「私は主によって男子を得た」と言った、と書いていますが、ATDによれば、「この男子という言葉にイーシュ(男)という語が使われており、生まれたばかりの男の子にこの言葉を使うのはきわめて異例である」そうです。また、この「得た」という言葉には、「創造する」という意味のカーナーという語が使われているそうで、「これもまったく不可解である」と注解書は書いています。けれども「主によって創造された男」といえばアダムのことではありませんか。これは、槍(男)=イーシュ(男)=アダム=土(アダマ)とつながって行き、やはりカインが「土」すなわち物質性を象徴するものであることを示していると思います。
 
このように、カインが人間の物質性を表し、アベルが霊性を表すものであるとすれば、神がカインの献げ物を無視し、アベルの献げ物だけに目を留めたのは当然過ぎる結果です。神にとって、物質は無意味だからです。カインは怒ってアベルを殺しました。これは、人間が霊性を抑圧し、物質性だけによって生きるようになったことを意味しています。
 
カインとアベルの物語は、アダムとイブの物語のテーマを繰り返しているのだと、私は思います。アダムとイブは知恵の木の実を食べて、エデンの園から追放されました。私はこれを、人間が理性によって判断することに頼り、神の言葉を聴くことをしなくなった、という意味だと解釈しています。聖書では、神が怒って二人をエデンの園から追い出したように書いていますが、私は、人間が神の言葉を聴かなくなったとき、そこがエデンの園であり続けるはずがないと考えます。アダムとイブは自動的にエデンの園から放り出されたのです。

カインも神の前から去り、エデンの東のノド(さすらい)の地に住んだと書かれています。人間が霊性を抹殺したとき、神との接点は失われ、そのとき人間の住んでいた場所がどんな場所であったとしても、そこは変質し、楽園ではなくなるのです。
 
ATD注解書によれば、カインとアベルの物語は歴史的な実話ではなく、紀元前1000年ごろヤハウィスト(本名はわからないが、神の名前にヤハウェという名を用いるので便宜上こう呼ばれている)と呼ばれる人物が、その思想を伝えるためにそれ以前の伝承を利用してつくりあげた神話であるとされています。この物語は、人類の歴史の出発点の重大な秘密を、神話の形で伝えているのです。
 
人類は、霊性をまったくもたない、物質性だけの存在としてスタートし、霊性を回復する旅を続けて来ました。

神は、アベルを殺したカインに、罰として放浪の旅を命じたわけではありません。地上をさすらうもの、物質世界でさまよいつづけるものとなるのは、霊性を失ったものの必然的な運命です。けれども、人間を愛する神は、人類がふたたび霊性を回復するように、辛抱強く助け導いておられます。人間の社会に秩序を与え、倫理道徳を教え、愛を教え、さらに霊性について教え・・・、段階を踏みながら、次第に人間が意識を高め、霊性を再獲得するようになるまで導いておられるのです。
 
アベルの献げ物にならって、羊を神に捧げるいけにえの習慣が続けられました。それは人間が霊性を育て、それを神に捧げる、つまり霊性を通じて神と交わるようになることを意味しているのです。けれども、霊性を失った人間にはその意味はわかりません。いけにえの素材にも牛や鳩が加わり、ただ犠牲の動物を焼いて祭壇にのせるという行為だけが続けられることになりました。

そこで、預言者の時代になると神は預言者を通してこう語られます。
   「私が喜ぶのは愛であっていけにえではなく、
   神を知ることであって焼き尽くす献げ物ではない。」(ホセア6章6節)
これは、神みずから、いけにえの意味を解き明かしておられるのです。羊が問題なのではない、羊が意味しているものが大事なのだと。あなたたちの霊性を育て、霊性を私の前に供えなさいと。
 
さらに時が下ってイエス・キリストになると、もうシンボルではなく、直接的な言葉で語られます。
   「神は霊であるから、神を礼拝するものは、霊と真理とをもって礼拝すべきである。」    (ヨハネ4章24節)
人間はすこしずつ霊性を発達させ、ようやく直接的な言葉で霊性について語ることが出来るほどになってきたのです。
 
それからさらに2000年が経過し、私たちはいま二十一世紀の入口に立っています。二十一世紀は「霊性の時代」といわれています。私たちはいま、長い長い旅の終わりに近づいているのです。西暦2000年に行なわれたシドニー・オリンピックのマラソンにたとえれば、私たちはいま最後の競技場に入るトンネルにさしかかっているところです。ゴールはまだ見えていません。周りはかえって暗くなっています。けれども、先頭ランナーはもうすぐ競技場にはいります。トンネルを出て右に曲がれば最後のトラックです。そして私たちはトラックを一周し、両手を高く上げてゴールに入るでしょう。このマラソンに勝ち負けはありません。順位は問題ではないのです。市民マラソンと同じように、誰ひとり落ちこぼれることなく、全員がゴールインすることが大切なのです。
 
長い長いマラソンでした。人間が霊性を捨ててから、ふたたび霊性というものを理解できるようになるまで、六千年、一万年、十万年、あるいはひょっとしたら何百万年もかかったのかもしれません。もうすぐ、私たちは霊性について理解するだけでなく、それを獲得し、それを通じて神と日常的に対話し、神の声に絶えず聴き従って生きるようになるでしょう。それこそが主の再臨のとき、本当のクリスマスです。主は、あそこにおられる、いやあちらだ、というような形でこられるのではありません。私達一人一人の心の中にこられるのです。
 
最後にもうひとつ付け加えておきます。
聖書のカインとアベルの物語の終わりに不可解な言葉が残されています。それは、「神は、カインが殺されないように、カインにしるしを付けて守った」というところです。神はカインを何者に対して守ったというのでしょうか。カインを襲って殺すかもしれない者達というのはいったい何者なのでしょうか。
 
カインが一人の人間なら誰か他の者が襲って殺すこともあるでしょう。ある小さな部族を表しているのであれば、他の部族がカイン族を滅ぼすということもあるでしょう。けれども、この物語は単なる一種族の起源物語ではなく、人類そのものの出発点の真実を伝えているのです。したがってカインとアベルは全人類を代表しているのです。もしそうなら、カインに出会ってカインを殺すかも知れないとされた者たちは、人類以外のものたちでなければなりません。それはいったい何者なのでしょうか。
 
私たちのマラソンに、沿道の観客はいませんでした。私たち地球人類は宇宙の中で孤立していると、科学は教えます。火星や金星に行った惑星探査機も、火星人や金星人を発見することはできませんでした。けれども、実はこの宇宙には、人間の目には見えない霊的存在があふれているのです。神がカインにしるしを付けて守ったというのは、人類をそのような霊的存在たちから守ったのです。

地球は隔離されました。霊的存在たちは私たちに触れることはできなくなり、私たちも彼らの存在を知ることはできませんでした。もしそうしなかったら、霊性を失った地球人類は非常に弱い存在であり、霊的存在たちが、悪意はなくても、不用意に接触しただけで、手ひどい打撃をこうむる恐れがあったのです。
 
やがて、私たちが霊性をふたたび確立し、霊的視力を回復したあかつきには、私たちは大勢の観客に見守られていたことを知るでしょう。ゴールの競技場の観客席は、大勢のそういった観衆で超満員になっています。彼らは、私たちがゴールインしたら大祝宴を張ろうと待ち構えているのです。なぜなら、私たちこそ、失われた一匹の羊であり、放浪の旅から帰ってきた放蕩息子だからです。


posted by バルちゃん at 04:20 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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